かへでぱへ

思ったことなどです

世界の裏側

街外れの交差点。暗闇に浮かぶ信号。風はしんと止み、冷たい空気が漂う。

一台の車の音が近づいてきた。

 

 

暗い道路だった。私は赤い光をぼんやりと眺めながら、惰性で走る車にブレーキをかけた。ウィンカーを焚くと、等間隔のリズムが、車内を支配した。

 

緑色のランプを確認して、私はゆっくりとアクセルを踏んだ。等間隔のリズムは急に途絶えた。代わりにエンジン音が、車を満たしていく。

 

バックミラーには、どんどん遠くなっていく交差点が見えた。ついさっき、あそこへ私が入ってきて、そしてさっき、あそこから私が出てきたのだ。私以外の誰も、それを知らない。あそこには、誰も居なかったから。

 

林沿いのカーブに入ると、バックミラーの交差点は見えなくなった。月明かりは遮られ、闇は一層深くなった。下りのカーブは、ついスピードが出すぎてしまう。

 

......あの信号は、まだ光っているだろうか。あの交差点は、消えて無くなっては、いないだろうか。どこかへ行ってしまっては、いないだろうか。

 

 

 

 

 

......ああ、いま、世界の中で、私だけ...。

 

 

下りのカーブをようやく抜けて、直線道路に出た。暗い林は後ろへ飛び去り、道路脇には畑が広がった。

 

......私だけが、あの交差点を、知っている。

あの交差点の、在るということを、知っている。

 

私がいなくても、あの交差点は、きっと在るだろう。暗闇の中に、ぽつんと、冷たく、在るだろう。あの信号は、動き続けているだろう。暗闇の中で、赤緑赤を。ただ、赤緑赤を。音もなく。

 

私だけが知っている。赤緑赤、赤緑赤。

 

 

AM02:00:03。

信号は赤から緑へ。

Bルート

仕事をして帰って寝て、起きてまた仕事をして帰って寝る。心のゲージが、少しずつだが確実に、無理のゾーンへとさしかかってきているのを感じる。同じことの繰り返しで、ハリのない生活。この生活はしばらく続きそうで、その先に何かがあるわけでもない。そう考えると、まるで行き止まりに向かってマラソンをしているような気持ちになる。今ので無理のゾーンがまた少し広がった気がする。土曜の朝。憂鬱な思考に耐えかねた私はようやく起き上がった。今日の予定はクリニックへ睡眠薬を貰いに行くことだけ。薄暗い部屋は白い息が出るほど寒い。氷のように冷えた指先が痛い。雪が降っているんじゃないの。カーテンを開いたらのしかかってきた曇天。ダメだ。もう無理だ。

  

お医者さんは私の話なんて聞いてないんだと思う。パソコンばかり見ているから。「それは大変でしたね」って、せめて目を見て言ってくれたらと思う。10分くらい話したあと、薬局でいつもどおりの薬をもらった。曇天の空は相変わらずで、クリニックに入った時から時間が進んでいないような感じがする。道路の脇には汚い雪が寄せられている。

 

毎回毎回、同じ薬を同じ分量だけ出すんだったら、あのお医者さんはいらないんじゃないかと思う。いやそれは私が今安定しているからそう言えるのであって、きっともっと不安定な人や大変な人には、量や種類を調整してもらわなきゃ困るのだ。同じ薬を同じだけ貰い続けている私は、多分、安定しているのだ。私は、普通の人より少し低いところで安定している。死ぬほどつらくはないけど、いつも少しつらい。少しだけマイナスのところに、ずっと心がある。これが普通になってしまって、こうなる前がどうだったかよく思い出せない。やっかいなところに安定してしまった。昔はもっと笑ってた気がする。道ぞいの公園で、子どもたちが溶けかかった雪だるまの頭を滑り台の上から落としていた。叩きつけられて割れる頭。子どもたちがキャーキャーと叫ぶ。

 

まだ帰りたくないと思った。もう用事は無いのだけど。何かしてから帰ったほうがいいんじゃないかと思った。どこかへ寄り道してみたくなったのだ。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。昔はもっと笑ってた気がする。まだ帰りたくない。不思議な予兆に私の胸は静かに踊った。

 

私はくるりと向きを変え、来た道を引き返した。薬の袋は、かばんの内ポケットにしっかりと収まっている。

布団から出られなくなった大学四年生の時の自分を25歳の自分が分析してみた

大学生の頃に毎日死にたいと思っていた時期があります。‬
‪今になってもあの頃のことをよく回想して分析しますけど、死にたいと思っていた理由は多分、自分の生きる意味の無さに気がついたからだと思っています。

ここでいう、生きる意味の無さというのは、自分が生きている意味がない、誰からも必要とされていない、自分がいなくても世界は回るなどの、自分の存在理由の無さということではありません。僕が死ねば悲しむ人はいたし、僕が生きてるだけで嬉しいという人がいたので、僕は自分に存在理由が無いとは思いませんでした。‬
‪じゃあ生きる意味の無さとは何を指すのか、それは、僕が僕の人生を生きることの意味が無いということです。本当の生きる目的というものが無いということです。‬
‪本当でない生きる目的というものはありました。大学の教授になって好きな心理学の研究で食っていくとか、大きな企業に勤めてお金持ちになるとか、エリート公務員になって何不自由なく生きていくとか、そいうものです。‬
‪僕は自分の能力を過大評価していたので、そして実際にはそこまでの能力が無いにも関わらず目を逸らし続けてきたので、なんの努力もしてきませんでした。学会にも出ず、企業分析も試験勉強もしませんでした。そして何より、その生きる目的モドキを真剣には見ようとしていませんでした。‬
‪真剣に見れば、自分が本当にそれになりたいわけでも、それのために努力できるわけでもないことがすぐ分かったはずです。でも見なかったんですね。ただ漠然と、自分はすごいんだからすごい大人になると思っていただけです。‬
‪僕が死にたいと思った理由は、生きる意味が無かったからです。決して、生きる意味を、見失ったからではありません。無かったのです。自分で作って来なかったのです。‬
‪それまでの僕はみんながするように受験をして進学してきただけです。そこには、将来の選択肢が増えるから、という先延ばしの意思はあったけれど、明確な目的意識はありませんでした。ただちょっと頭が良かったから、親がお金を持っていたから、不自由も挫折もなくやって来れたというだけでした。‬
‪自分の意思で何かをやるには覚悟が足りず、このまま何も考えずに流されて生きるにはプライドが高すぎました。山月記に李徴という虎になった男が出てきますが、ほとんどあれと同じです。‬
‪僕は次第にベッドの中にいる時間が増えていき、週2回のバイトと週1回ずつの講義とゼミとカウンセリングの時間以外は家に引きこもるようになりました。料理もテレビ視聴もできなくなり、生きることの虚しさに耐えられず、毎日泣いていました。‬
‪人間というのは逞しいなと思うのですが、何も前進していないように感じる毎日を過ごしていても、水面下では色々と前進するように脳みそが働くみたいです。‬
‪毎日ただ泣いていた僕の頭は、幸いなことに、無意識的に考えることをやめなかったみたいで、気付かないうちに少しずつ変化していました。‬
‪虚しさに耐えられず泣いていた心は、そのうち虚しさにも慣れてきました。虚しい状態がベースになってきました。虚しさに支配される代わりに、わざわざ虚しさに泣かないようになりました。‬
‪虚しさの中で少しずつ、マトモな呼吸ができるようになりました。虚しさの中で生活をすることができるようになりました。何もできなかった生活の中で、一番最初に復活した習慣は料理でもテレビ視聴でもなく、本を読むことでした。‬
‪虚しい自分をとことん分析した僕は、自分が虚しいのは自分が何も知らないからだと思いました。生きるってなんだ、人間ってなんだ、働くってなんだ、死ぬってどういうことだ、と思って、本を色々と読み漁りました。‬
‪今思えば、僕にとってはあれが一番の治療薬だったんだなと思います。当時の僕は基礎心理学を専門にしていたんですが、臨床心理学の本にも手を出し始めました。そこには同じように生きることの意味を探した賢い先人たちが、頭を絞って書いた考えが記されていました。‬
‪哲学や思想にも同じにおいを嗅ぎつけ、自分と同じ思いをした人間はいないか、仲間探しをしました。本の中には、時代を超えて沢山の仲間を見つけることができました。本のなかの仲間たちの話を聞いて、僕は少しずつ知識をつけ、自分なりの生きる意味を作るようになりました。‬
‪自分なりの生きる意味に合わせて、当時の自分が取り得る選択肢の中から、一番近い領域にあるものを選びました。それは心理士になることでした。‬

 


‪それから色々と頑張って今に至るわけですが、まだ相変わらず虚しさを抱えながら生活しています。それが嫌ではありません。虚しさを抱えながら生活することはリアルなことだと思っています。虚しさを排除して生活を楽しいこと暖かいことだけで埋め尽くすのは、リアルでないと思っています。‬

教養をつけて、虚しさも抱えながら、自分の頭で考えて生きるようにしています。生きる意味は自分で考えて作って、勇気を持ってそれを実行していこう、というのが今の気持ちです。自分なりの生きる意味を作って実行する生活は、今のところ、なかなか楽しいです。

 

 

でもね、抱えきれないほど無限に虚しいものを、見ないように必死になってる自分がいるなって、薄々感じてもいるんですよ。

 

暖炉のわきで

そりゃ、僕だってもちろん、面白い話やハッピーな話は好きですがね、それよりもずっと、悲しい話のほうが好きなんです。

 

なぜ?悲しい話なんて。

 

なぜと聞かれても。じゃハッピーな話が好きな理由を説明できますか?それと同じように悲しい話が好きなんです。

 

でも、やっぱり分からないわ。ハッピーな話が好きだと言われても、何の疑問もわかないけれど、わざわざ悲しい話が好きだなんて。特別な理由がなくっちゃ。きっと、あなたは悲しい人なのよね。だから悲しい話が好きなんだわ。

 

たしかに、僕は悲しい人かもしれません。なにごとにも悲観的で、楽しさの中にも悲しさを探してしまうような人間ですからね。悲しい人間が悲しい話を好むというのは、あなたにとって納得のいくことなんですね。なるほどそういうこともあるかもしれない。

 

あなたは悲しみたいの?

 

みんなそう聞いてくるんです。でもそういうわけじゃない。

 

じゃあなぜわざわざ悲しい話なんか。

 

悲しい話はね、僕を安心させるんです。悲しい話は、世界に悲しいことがあるってことを、僕に認識させてくれるんです。僕は悲しい気持ちになりたいわけじゃない、僕はほっとしたいんです。それにはどんなハッピーな話よりも、心温まる話よりも、悲しい話のほうが合っているんです。この世界には悲しいことがあるって事実から、目をそらさずにいていいんだって思わせてくれるんです。

 

悲しいことを避けたいと思うのは人として普通のことじゃない?あなたはそういう自分に酔っているんじゃないの?

 

繰り返しになりますけどね、僕は悲しくなりたいわけでも、悲しいことを経験したいわけでもないんですよ。第一、悲しいことなんて、こちらがどんなに避けようとしたって、向こうから勝手にぶつかってくるじゃあないですか。避けようがないんです。避けようがないものを、無理に避けたくないと、僕は思ってるんです。どっしりと構えて、悲痛にあえぎながらでも、それを引き受ける姿勢をとりたいんです。あくまで姿勢ですがね。実際、悲しみを前にした僕はひぃひぃと情けなくあえいで、打ちのめされていますから。でもそういうときに、悲しい話は、僕を慰めたり元気づけたりしてくれるんです。悲しい話はね、そこに存在するだけで、この世界に悲しい話があるということを訴えていると思うんです。「この世界には悲しい話が存在している」、読んで字の如くです。そのことが、悲しいことを避けたり、無視したりしないようにしようと思う僕の気持ちを後押ししてくれるんです。実際、酔っているのかもしれません。でも、楽しい話だって、その楽しんでいる状況に酔わなければ、楽しめませんよ。心温まる感動的なストーリーだって、感動する自分に酔うことがあるでしょう。僕もそうやって、悲しい話を味わっているんです。楽しさに目を向けるにしても、悲しさに目を向けるにしても、自分の在り方、自分のスタイルという目的に合わせて、ストーリーを消費しているといえるかもしれませんね。

 

なんか、変な人。悲しいことを避けたくなる人ばかりじゃないのね。あなたがいるし。

 

聞いてくれてありがとう。僕もできることなら避けたいですよ。避けたいけど避けられないと思っていて、それで諦めているだけなのかも。でも、僕はあくまでそういう姿勢を持っていたいんです。能動的に、悲しみを引き受けていこうという気持ちで。

 

そう、それなら、今度はわたしの、うんと悲しい話をしましょうよ。聞いてくれるわよね?

身を焼かれながら

午前の業務にひと段落ついた。休憩時間だ。

外に出て、太陽に焼かれながら駅の周りをふらふらしていると、小さな洋食屋を見つけた。高架下にある、入り口のせまい店で昼食をとることにした。

店内に数人いた客も、ひとりまたひとりと午後の仕事へ戻って行き、注文した料理を半分食べるころには、客は私だけになっていた。

店主はテーブルの上を片付けながら「 オリンピックがやってると、ついつい寝る時間が減ってしまいます」とつぶやいた。最初、それは独り言かと思ったが、どうやら私に向けられているようだった。

「 …え、ああ、ね、メダルもたくさん出てますもんね」

「 うちなんかねぇ、家内が早くに起きてテレビつけるもんだから、どうしても気になって見ちゃうんですよ。そしたら寝れなくて」

「 ああ、へぇ、気になりますもんね」

「 卓球なんてすごいんですよ。わたしは卓球があんなに面白いものだとは思わなかった。横にカーブさせたり、下にボールが沈んだりするんです。すごいですよ。あの水谷って選手は…」

正直、もうやめてほしかった。私は疲れていた。この会話で疲れたのではない。この前から、午前の業務の前から、今日の前から、ずっとずっと疲れていたのだ。

 

数日前、とても悲しいことがあった。それは私にとって人生で一番悔しい経験であった。私の心はまだ揺れていた。寝ても覚めても、電車に乗っても、刺すような悔しさに繰り返し襲われていた。悔しさと絶えず格闘していた私は、疲弊してくたくただった。それでも業務でミスをしないようにと神経を使っていた。ずっと気が立っていたが、そこに何かが引っかかったりしないように、細心の注意を払っていた。とにかく、そういうわけで、私はずっと疲れていた。

 

店主の話は続いた。何の種目の誰それがすごいだとか、今日は決勝戦があるから見なくてはだとか、そんなことだった。私はそれに相槌をうった。適当な相槌をうつことはできなかった。適当な相槌をうって、相手が「 うるさかったかな、ごめんなさいね」などと私に遠慮する態度を示したら、それが私の気の立った部分に触れそうだったからだ。私の共感的な相槌に促されて、店主は気持ち良さそうにオリンピックの話をしていた。私はどんどん力を吸い取られていった。

調子が悪いと私は小食になってしまう。とても美味しいご飯だったのに、私のような若者が喜ぶようなメニュー( 鶏の照り焼き、目玉焼き、ナポリタン)だったのに、最後まで食べきるのがかなり大変だった。ほとんど苦痛だった。これがとても悲しかった。

一期一会の暖かい触れ合いのはずが、それにパワーを奪われている。美味しいご飯を平らげるのにひぃひぃ苦しんでいる。こんな悲しいことってあるものか。私はさらに参ってしまった。

 

店主の話が途切れた隙を狙い、会計を申し出た。

「 美味しかったです、ご馳走さま」私は笑顔を浮かべ、せまい出口から灼熱の世界に逃げ出た。

 

額に汗を噴いて、職場にむかってずんずん歩きながら、私はかなり険しい顔をしていたと思う。そのとき私は、自分の感情を極力揺らさないように努めていた。店主の人懐っこい笑顔が、家庭的な料理の味が、そういうものからあふれ出る優しさが、私の心に侵入してこないように、徹底して監視していた。元来私は、こういう優しさや、心の触れ合いが好きな人間である。しかし今は、絶対に優しさに触れたくなかった。もしそういうものが、ひとたび心に侵入すれば、途端に私の意思はぽっきりと折れ、身体は崩れ落ち、わんわん泣いてしまうと思った。それは絶対に許されない。私にはまだやることがあるのだ。今はまだ立ち止まってはいけない。だから私は、徹底して優しさを受け取らないようにしていた。

 

私はまだしばらく闘わなくてはならない。どんなにつらくても、膝を折ることは許されない。応急処置の包帯でぐるぐる巻きになった心に血が滲んでも、包帯を取り換えてはならない。満身創痍をよくよく味わっていくのだ。

 

 いつか包帯をほどいて、傷を慈しみ、安心して泣ける日がくるまで。

国語についての回想

子どもに勉強を教えた。自己紹介で「 先生の好きな教科は国語だよ~」と言ったら、子どもは「 えぇ~~」と苦い顔をした。「 なんにも面白くない」と言っていた。

 

思い出してみればずっと国語が好きだった。授業中、よく教科書の別のページを開いては、はじめての文章を読み漁っていた。便覧は舐めるように隅々まで目を通した。国語の教科書や便覧だけは、自分にとって勉強の道具というよりもおもちゃに近いものだった。

高校時代の現代文の教師との出会いが、私をもっと国語好きにさせた。定年間近の、もうばあさんに近い教師だった。彼女は年齢よりも老けていた。腰がすこし曲がっていて、がりがりに痩せていて、黒板に書く文字は線のつながった年寄りの文字であった。彼女のことを「 老師」と呼ぶ友人もいた。たしかに、文学を足掛かりにして生き方や考え方について熱く説く雰囲気に、老師という呼び名は似合っていたように思う。

老師は私のことを気に入っていた。授業中、文学や論説の理解のキモとなるような要点では、決まって私に発言を求めた。老師が出した問題について、生徒たちがノートに意見をまとめていると、必ず私の机まで様子を見にきて、「 よく読めているね」と囁いた。定期テストで論述問題が出ると、模範解答を老師が読み上げることがあったが、私は途中からそれが自分の解答であることに気付いて、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなったこともあった。老師のそうした贔屓は、私が国語に前向きで、成績も良かったことから、教え甲斐のある生徒だという認識があったためだと思う。当時は分からなかったが、今思うと、彼女は私に教えることを楽しんでいたようだった。

私も老師の授業が好きだった。勉強が嫌いなわけではなかったが、学校の授業は退屈で、机に座って受ける授業の半分は寝ていた。それでも、老師の現代文の授業で寝ることは無かった。現代文は週に3回あって、その曜日は学校に行くのが楽しみであったことを、今でも覚えている。

老師の授業は、作者の意図を、表現したかったことを、言いたかったことを、行間から読み取らせようとする内容が多かった。空気を読む、表情を読む、元来そういうことが得意だった私にとって、行間から意図を汲むことも同じことで、私はそれを難なくやった。老師の授業を受けるうちに、私はどんどんそうやって文章を読むようになっていった。「 本当に言いたいことは?行間に隠されたこの人の気持ちは?想像してみると?歴史背景からも考えてみた?風景をひとつひとつ浮かべてから読んでみて?」老師の問いかけひとつひとつが、私の頭のエンジンを加速させた。インクから文字、文字から単語、単語から文、文から文章、文章からその奥にある想像上にしかないこと……老師のおかげで、文章の奥のものにたくさん触れられるようになった。文章がもつ奥行きというものが、グッと拡がったように感じた。

私が、教科書に出てくるような文章が好きというのは、これが奥行きを見出しやすい性質を持っているからだと思う。老師の問いかけのような、文章を読むための基礎的な”構え”さえあれば、簡単に奥行きを見出して触ることができる、それが教科書に出てくるような文章なのだと思う。老師に質問責めにされながら読んだ志賀直哉の『 城の崎にて 』は、高校生の私に主人公が考えたよりも深く、生と死について考えさせた。吉野弘の『  I was born 』という詩は、元の文の何万倍も奥行きを持っているようだった。妊婦を見た少年の性への気恥ずかしさについて語らさせられたときはかなり恥ずかしかったが、語れば語るほどその詩を好きになった。

老師には、そのあとの大学受験でも大変世話になった。高校3年時の私の担任は、老師とはまた別の新任国語教師であったが、私が老師にばかり進路相談をするので担任はすっかり拗ねてしまっていた。入学試験には、学校によっていろいろな試験方式がある、国語、英語、数学、小論文、面接など本当に様々だ。どれにするべきか、どこを受けるべきか、職員室で老師に相談すると「 小論文書きなよ、あんたはいい文章が書けるんだから、それが一番いい」と言われた。続けてすぐ「 これから一日一本、小論文を仕上げて持っておいで。あたしが添削したら、次の日はもっと良くして持ってくるんだよ」と言われ、原稿用紙の束を渡され、気がついたら職員室の外にいた。

はじめて自分の才能を他人から認められた瞬間だったと思う。「 あなたはこの能力が優れている。だからこれを伸ばしなさい」と言ってもらえたことは、私にとってはじめての体験で、それは大きな喜びだった。当時の私がこの喜びを意識することはできなかったが、なんだか精神に覇気が満ちてきて、毎日ガリガリと小論文を仕上げていたことは覚えている。そのときは相当嬉しい気持ちだったのだろう。

 

高校時代の老師との色々なやりとりは、今の自分に大きな影響を与えている。そう思うようになったのは最近になってからだ。子どもに勉強を教えるようになったからかもしれない。自分を見つめる時間が増えたからかもしれない。以前よりも本を読むようになったからかもしれない。様々な要因が絡み合っていたところに、ふっと、子どもの一言が引き金だった。私の脳が老師とのやりとりに意味付けを行いはじめた。あの刺激的なやりとりは、時間を超えて、再び私に刺激を与えてくれるようだ。老師に手紙を出してみようかしらなどと思う。

いろいろ考えていたら、刺激で頭がいっぱいになってしまった。これらをいったん整理して置きたくなったので、今回はここに書きつけて置こうと思う。

 

思い出し効果

ある夜、散歩をしながら、昼にした会話をぐるぐると思い出していた。

 

「 お昼食べないの?ダイエット? 」

「 いや、そういうわけじゃないんですけど、週末に人と会うので・・・ 」

「 だから? 」

「 僕が太って行ったら相手も嫌でしょう 」

「 へ~、素敵じゃん 」

「 実際は何の意味も無いですけどね 」

「 いやいや、会うまで毎日思い出してくれるっていうのが良いんじゃん 」

「 そういうものですか 」

「 そういうものだよ 」

 

そういうものなのかぁ。最近やたらとよく聞く。人はなにかにつけて相手に思い出してもらうのが嬉しいのだということを。今回の思い出しタイミングは「 会うまでの毎食時 」だったけれど、他に聞くのは「 ふとした瞬間 」、「 同じにおいの香水をかいだ時 」、「 良いことがあって誰かに話したい時 」なんかもある。「 夜寝る前にいつも思い出したいの 」と言っている人もいた。なるほど、思い出してもらうだけじゃなくて思い出すのが良いというパターンもあるのか。

 

僕がどれだけ相手を思い出そうと、相手は僕が思い出しているなんてことは知らない。逆も同じ。相手がどんなに僕を思い出しても、僕はそんなことは知らないから、いつもこうやって退屈な表情で退屈な気持ちでいる。なにかのきっかけで誰かに思い出されてるってもしわかったら、確かに心がウキウキするような気がする。退屈をどこかにやってくれそうなほど嬉しいと思う。その人に好きなお菓子を買ってあげたくなるくらいその人を大事に思うだろうと思う。だけれど、実際にそれを知ることはほとんどなかったので、僕の世界にそういうことは無いのと同じだった。

 

恋人同士くらいじゃないか。「 今日ね、いっしょにお茶したあの喫茶店の前を通ってね、初めてデートした時のことを思い出したよ 」なんてことを言われたら確かにしあわせだろうなと思うし、それを言葉にして伝える恋人たちもイメージできる。恋人がいない人はウキウキが抜け落ちた退屈から抜け出せないのか。しまった。

 

うーん…。でも僕がこれだけ人を思い出すのだから、どこかの誰かも僕のことをこれくらい思い出してくれててもおかしくないのでは。めちゃくちゃな論理だけれど、そう思うと結構嬉しくなってきて、そのうち「 そうだ。きっとそうなんだ 」と信じ込むような気持ちになってくる。夜の散歩から帰るころには、「 素敵じゃん 」と昼飯時に言ってくれたあの人の考えについても、僕の中でじんわりと共感されるようであった。