かへでぱへ

思ったことなどです

暖炉のわきで

そりゃ、僕だってもちろん、面白い話やハッピーな話は好きですがね、それよりもずっと、悲しい話のほうが好きなんです。

 

なぜ?悲しい話なんて。

 

なぜと聞かれても。じゃハッピーな話が好きな理由を説明できますか?それと同じように悲しい話が好きなんです。

 

でも、やっぱり分からないわ。ハッピーな話が好きだと言われても、何の疑問もわかないけれど、わざわざ悲しい話が好きだなんて。特別な理由がなくっちゃ。きっと、あなたは悲しい人なのよね。だから悲しい話が好きなんだわ。

 

たしかに、僕は悲しい人かもしれません。なにごとにも悲観的で、楽しさの中にも悲しさを探してしまうような人間ですからね。悲しい人間が悲しい話を好むというのは、あなたにとって納得のいくことなんですね。なるほどそういうこともあるかもしれない。

 

あなたは悲しみたいの?

 

みんなそう聞いてくるんです。でもそういうわけじゃない。

 

じゃあなぜわざわざ悲しい話なんか。

 

悲しい話はね、僕を安心させるんです。悲しい話は、世界に悲しいことがあるってことを、僕に認識させてくれるんです。僕は悲しい気持ちになりたいわけじゃない、僕はほっとしたいんです。それにはどんなハッピーな話よりも、心温まる話よりも、悲しい話のほうが合っているんです。この世界には悲しいことがあるって事実から、目をそらさずにいていいんだって思わせてくれるんです。

 

悲しいことを避けたいと思うのは人として普通のことじゃない?あなたはそういう自分に酔っているんじゃないの?

 

繰り返しになりますけどね、僕は悲しくなりたいわけでも、悲しいことを経験したいわけでもないんですよ。第一、悲しいことなんて、こちらがどんなに避けようとしたって、向こうから勝手にぶつかってくるじゃあないですか。避けようがないんです。避けようがないものを、無理に避けたくないと、僕は思ってるんです。どっしりと構えて、悲痛にあえぎながらでも、それを引き受ける姿勢をとりたいんです。あくまで姿勢ですがね。実際、悲しみを前にした僕はひぃひぃと情けなくあえいで、打ちのめされていますから。でもそういうときに、悲しい話は、僕を慰めたり元気づけたりしてくれるんです。悲しい話はね、そこに存在するだけで、この世界に悲しい話があるということを訴えていると思うんです。「この世界には悲しい話が存在している」、読んで字の如くです。そのことが、悲しいことを避けたり、無視したりしないようにしようと思う僕の気持ちを後押ししてくれるんです。実際、酔っているのかもしれません。でも、楽しい話だって、その楽しんでいる状況に酔わなければ、楽しめませんよ。心温まる感動的なストーリーだって、感動する自分に酔うことがあるでしょう。僕もそうやって、悲しい話を味わっているんです。楽しさに目を向けるにしても、悲しさに目を向けるにしても、自分の在り方、自分のスタイルという目的に合わせて、ストーリーを消費しているといえるかもしれませんね。

 

なんか、変な人。悲しいことを避けたくなる人ばかりじゃないのね。あなたがいるし。

 

聞いてくれてありがとう。僕もできることなら避けたいですよ。避けたいけど避けられないと思っていて、それで諦めているだけなのかも。でも、僕はあくまでそういう姿勢を持っていたいんです。能動的に、悲しみを引き受けていこうという気持ちで。

 

そう、それなら、今度はわたしの、うんと悲しい話をしましょうよ。聞いてくれるわよね?

「努力は報われる」って信じますか ~必然性の欠如によって定義される偶然を超越した偶然のなかを生きる その1~

 こんにちは。最近考えていることがあります。これについて説明を求められることがあります。また、自分の中でこれをよく整理しておく必要性も感じています。ですので、今回ここに文章として書き置こうと思っています。こうしておけば、誰かに説明するときもURLを貼ればいいし、自分にとっても整理になりますからね。

 

「努力は報われる」

 どう思いますか?この言葉。努力は絶対に報われると思って、それに1ミリの疑いも抱かない人もいるかと思います。そういう人には今回のお話は少し難しいかもしれません。知的にどうとかいうのではありません。イメージがしにくいお話だということです。

 「努力は報われる」。本当ですかね?努力すれば結果が出ますか?努力すれば幸せになれますか?結果が出なかったのは努力が足りなかったせいですか?努力が足りなかったからいい仕事につけなかったのですか?失敗したのは努力が足りなかったせいですか?

 どんなに努力しても報われないことはあります。不幸になることはあります。どんなに面接対策をして就職面接に臨んでも、面接官がたまたまそこを評価しない人であったら、努力は報われません。どんなに恋人に尽くしても、恋人の前にたまたま、自分より魅力的な女性が現れたら、いかに尽くしてきたとしても別れを告げられるでしょう。具体例をあげればきりがありませんから、あとはみなさんがご自分の経験を振り返ってみてください。なんといっても、自分よりよっぽど努力してないのに成功した人がいたし、自分よりよっぽど努力した人が苦汁をなめているところを、もうさんざん見てきているのではないでしょうか。

 もうこんな話は自己啓発本でさんざん読んできていることでしょう。テレビの中で成功者が言っている「努力は報われる」がなんの励ましにもならないということは、みなさん当たり前に、身に染みて分かっていることだと思います。ここまでは、ちょっとそれをおさらいしてみました。今回は、とりあえず「努力は報われる」という、小学校で習うような一般常識をちゃんと崩しておきたいと思っています。

 さて、それでもやっぱり、「偶然に困難があるからこそ、成功するには困難にも揺るがないほどの努力が必要だ。だから何か失敗するとすれば、やはり努力が不足していたのだ」とおっしゃる前向きな方もいらっしゃるかもしれません。ではお尋ねします。もし、失敗の原因が努力不足だったとして、努力できなかったのはなぜですか?努力をするという努力が足りなかったからですか?つまり根性がなかったからですか?じゃあその根性ってどうやったら手に入るんですか?生まれつきですか?親の教育ですか?これまで積み上げてきた経験ですか?それじゃあ、生まれつきの能力は選べますか?親は選べますか?これまで経験を積もうと思ったその積極性は何によって身につけたのですか?

 どこまでもさかのぼることができてしまいます。結局、我々のもとにあらゆる事象が起こるとき、それは我々にはどうにもできない偶然性によって原因の大半が占められるということです。我々が努力によって成功したと思っていたことも、我々が偶然に努力できる素質を持ち、また偶然に努力できる環境にあり、加えて偶然にそれが評価されただけです。読んでいる方々にも、「分かってる分かってる。そんなことは骨の髄まで分かりきっている」という方がいらっしゃることでしょう。

 でも、世の中では「努力は報われる」という信仰がまかり通っています。そして先ほどまでの話が、頭ではよく分かっている我々も、知らず知らずのうちにそう信じようとしてしまう部分があるかと思います。我々は、多くの労力や時間を費やして(つまり努力して)何かに取り組んだとき、一定の成功が得られないと悔しいと感じます。理不尽だと思います。こんなに頑張った自分が不幸になり、あんなに遊んでいたあいつが幸福になっていると思うと、こんなことがあっていいのかと、はらわたが煮える思いをします。とても苦しいものであり、多くの人に自然に生じる感情だと思います。

 でもこれって、「努力は報われる」と信じていなければ湧いてこない感情じゃないですか?どんなに努力しても、結局は偶然によって決まってしまうことが本当によく分かっているなら、失敗しても、不幸になっても、「ああそうか」となるはずです。努力の末に失敗するのは、成功するのと同じくらい当たり前だからです。つまり、努力に対して報酬が支払われるはずという期待があり、それが裏切られるから苦しいわけです。「努力は報われる」を信じているわけですね。じゃあなぜ、「努力は報われる」わけではないことが頭ではわかっていながら、そう信じないではいられないのでしょうか。

 私もそうですが、普通の人は、ロボットのように強くできていません。「どんなに頑張っても失敗することが当たり前にあるということ」を考えながら努力するのは、結構つらいことです。だから「努力は報われる」という事実と違うこと(嘘)を信じることで、なんとか心と身体に鞭を打って行動するのです。ある意味で、前向きと言えるかもしれません。しかし、真実と異なることを、うすうす知りながら信じているのですから、自分に欺瞞的な態度であるとも言えます。そして、私はこの自分に欺瞞的な態度が良くないと思っています。

 頭の中で分かりきっている真実と違うことを信じているのですから、そこには無理が生じます。そういうことをしていると、真実を見ないことばかりに神経を使って生きるようになります。努力が報われなければ、これまで大事に守ってきた「努力が報われる」世界観が崩れてしまうのです。自分の世界観が崩れることは恐ろしいことですから、常に「努力は報われる」と声に出して自分に唱え続けて、深く深く信仰していかなくてはなりません。ほんとはそうじゃないのに。周りの人間に対してもこういう態度で接します、「努力は報われる」のだから頑張りなさいだとか、「努力は報われる」のだからあなたが失敗したのは何かの間違いだとか、そんなことを言って、周りの人たちも巻き込んで欺瞞的になっていくのです。そうすれば自分の「努力は報われる」世界観がより守られますから。

 「努力は報われる」と唱えながら、「努力は当たり前に報われないことがある」というつらい真実から目をそらして生活することが、前向きだとかなんとか言われていますが、私はそうは思いません。そうやって生きていくことにどれほどの豊かさがあるでしょうか。世界観が壊れることに怯え、来る日も来る日も本当じゃないことを唱え続け、思考を麻痺させ、より深く催眠にかかるように腐心して、そのまま死んでいく。麻酔薬を打って目先の苦痛から逃げ続けていたら、本当のことは何も感じないでいつのまにか死んでましたなんて、そんなのはかなり嫌じゃありませんか。

 

 

 今回はここまでです。今回は「努力は報われる」についての批判でした。読んでくれてどうもありがとうございました。

 次回はこの次に大体の人が考える「我々は偶然に不幸になり、偶然に幸福になる」という世界観について、これもまた疑わしいものだと思っているので、書いていこうと思います。次もよかったら読んでみてくださいね。

身を焼かれながら

午前の業務にひと段落ついた。休憩時間だ。

外に出て、太陽に焼かれながら駅の周りをふらふらしていると、小さな洋食屋を見つけた。高架下にある、入り口のせまい店で昼食をとることにした。

店内に数人いた客も、ひとりまたひとりと午後の仕事へ戻って行き、注文した料理を半分食べるころには、客は私だけになっていた。

店主はテーブルの上を片付けながら「 オリンピックがやってると、ついつい寝る時間が減ってしまいます」とつぶやいた。最初、それは独り言かと思ったが、どうやら私に向けられているようだった。

「 …え、ああ、ね、メダルもたくさん出てますもんね」

「 うちなんかねぇ、家内が早くに起きてテレビつけるもんだから、どうしても気になって見ちゃうんですよ。そしたら寝れなくて」

「 ああ、へぇ、気になりますもんね」

「 卓球なんてすごいんですよ。わたしは卓球があんなに面白いものだとは思わなかった。横にカーブさせたり、下にボールが沈んだりするんです。すごいですよ。あの水谷って選手は…」

正直、もうやめてほしかった。私は疲れていた。この会話で疲れたのではない。この前から、午前の業務の前から、今日の前から、ずっとずっと疲れていたのだ。

 

数日前、とても悲しいことがあった。それは私にとって人生で一番悔しい経験であった。私の心はまだ揺れていた。寝ても覚めても、電車に乗っても、刺すような悔しさに繰り返し襲われていた。悔しさと絶えず格闘していた私は、疲弊してくたくただった。それでも業務でミスをしないようにと神経を使っていた。ずっと気が立っていたが、そこに何かが引っかかったりしないように、細心の注意を払っていた。とにかく、そういうわけで、私はずっと疲れていた。

 

店主の話は続いた。何の種目の誰それがすごいだとか、今日は決勝戦があるから見なくてはだとか、そんなことだった。私はそれに相槌をうった。適当な相槌をうつことはできなかった。適当な相槌をうって、相手が「 うるさかったかな、ごめんなさいね」などと私に遠慮する態度を示したら、それが私の気の立った部分に触れそうだったからだ。私の共感的な相槌に促されて、店主は気持ち良さそうにオリンピックの話をしていた。私はどんどん力を吸い取られていった。

調子が悪いと私は小食になってしまう。とても美味しいご飯だったのに、私のような若者が喜ぶようなメニュー( 鶏の照り焼き、目玉焼き、ナポリタン)だったのに、最後まで食べきるのがかなり大変だった。ほとんど苦痛だった。これがとても悲しかった。

一期一会の暖かい触れ合いのはずが、それにパワーを奪われている。美味しいご飯を平らげるのにひぃひぃ苦しんでいる。こんな悲しいことってあるものか。私はさらに参ってしまった。

 

店主の話が途切れた隙を狙い、会計を申し出た。

「 美味しかったです、ご馳走さま」私は笑顔を浮かべ、せまい出口から灼熱の世界に逃げ出た。

 

額に汗を噴いて、職場にむかってずんずん歩きながら、私はかなり険しい顔をしていたと思う。そのとき私は、自分の感情を極力揺らさないように努めていた。店主の人懐っこい笑顔が、家庭的な料理の味が、そういうものからあふれ出る優しさが、私の心に侵入してこないように、徹底して監視していた。元来私は、こういう優しさや、心の触れ合いが好きな人間である。しかし今は、絶対に優しさに触れたくなかった。もしそういうものが、ひとたび心に侵入すれば、途端に私の意思はぽっきりと折れ、身体は崩れ落ち、わんわん泣いてしまうと思った。それは絶対に許されない。私にはまだやることがあるのだ。今はまだ立ち止まってはいけない。だから私は、徹底して優しさを受け取らないようにしていた。

 

私はまだしばらく闘わなくてはならない。どんなにつらくても、膝を折ることは許されない。応急処置の包帯でぐるぐる巻きになった心に血が滲んでも、包帯を取り換えてはならない。満身創痍をよくよく味わっていくのだ。

 

 いつか包帯をほどいて、傷を慈しみ、安心して泣ける日がくるまで。

国語についての回想

子どもに勉強を教えた。自己紹介で「 先生の好きな教科は国語だよ~」と言ったら、子どもは「 えぇ~~」と苦い顔をした。「 なんにも面白くない」と言っていた。

 

思い出してみればずっと国語が好きだった。授業中、よく教科書の別のページを開いては、はじめての文章を読み漁っていた。便覧は舐めるように隅々まで目を通した。国語の教科書や便覧だけは、自分にとって勉強の道具というよりもおもちゃに近いものだった。

高校時代の現代文の教師との出会いが、私をもっと国語好きにさせた。定年間近の、もうばあさんに近い教師だった。彼女は年齢よりも老けていた。腰がすこし曲がっていて、がりがりに痩せていて、黒板に書く文字は線のつながった年寄りの文字であった。彼女のことを「 老師」と呼ぶ友人もいた。たしかに、文学を足掛かりにして生き方や考え方について熱く説く雰囲気に、老師という呼び名は似合っていたように思う。

老師は私のことを気に入っていた。授業中、文学や論説の理解のキモとなるような要点では、決まって私に発言を求めた。老師が出した問題について、生徒たちがノートに意見をまとめていると、必ず私の机まで様子を見にきて、「 よく読めているね」と囁いた。定期テストで論述問題が出ると、模範解答を老師が読み上げることがあったが、私は途中からそれが自分の解答であることに気付いて、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなったこともあった。老師のそうした贔屓は、私が国語に前向きで、成績も良かったことから、教え甲斐のある生徒だという認識があったためだと思う。当時は分からなかったが、今思うと、彼女は私に教えることを楽しんでいたようだった。

私も老師の授業が好きだった。勉強が嫌いなわけではなかったが、学校の授業は退屈で、机に座って受ける授業の半分は寝ていた。それでも、老師の現代文の授業で寝ることは無かった。現代文は週に3回あって、その曜日は学校に行くのが楽しみであったことを、今でも覚えている。

老師の授業は、作者の意図を、表現したかったことを、言いたかったことを、行間から読み取らせようとする内容が多かった。空気を読む、表情を読む、元来そういうことが得意だった私にとって、行間から意図を汲むことも同じことで、私はそれを難なくやった。老師の授業を受けるうちに、私はどんどんそうやって文章を読むようになっていった。「 本当に言いたいことは?行間に隠されたこの人の気持ちは?想像してみると?歴史背景からも考えてみた?風景をひとつひとつ浮かべてから読んでみて?」老師の問いかけひとつひとつが、私の頭のエンジンを加速させた。インクから文字、文字から単語、単語から文、文から文章、文章からその奥にある想像上にしかないこと……老師のおかげで、文章の奥のものにたくさん触れられるようになった。文章がもつ奥行きというものが、グッと拡がったように感じた。

私が、教科書に出てくるような文章が好きというのは、これが奥行きを見出しやすい性質を持っているからだと思う。老師の問いかけのような、文章を読むための基礎的な”構え”さえあれば、簡単に奥行きを見出して触ることができる、それが教科書に出てくるような文章なのだと思う。老師に質問責めにされながら読んだ志賀直哉の『 城の崎にて 』は、高校生の私に主人公が考えたよりも深く、生と死について考えさせた。吉野弘の『  I was born 』という詩は、元の文の何万倍も奥行きを持っているようだった。妊婦を見た少年の性への気恥ずかしさについて語らさせられたときはかなり恥ずかしかったが、語れば語るほどその詩を好きになった。

老師には、そのあとの大学受験でも大変世話になった。高校3年時の私の担任は、老師とはまた別の新任国語教師であったが、私が老師にばかり進路相談をするので担任はすっかり拗ねてしまっていた。入学試験には、学校によっていろいろな試験方式がある、国語、英語、数学、小論文、面接など本当に様々だ。どれにするべきか、どこを受けるべきか、職員室で老師に相談すると「 小論文書きなよ、あんたはいい文章が書けるんだから、それが一番いい」と言われた。続けてすぐ「 これから一日一本、小論文を仕上げて持っておいで。あたしが添削したら、次の日はもっと良くして持ってくるんだよ」と言われ、原稿用紙の束を渡され、気がついたら職員室の外にいた。

はじめて自分の才能を他人から認められた瞬間だったと思う。「 あなたはこの能力が優れている。だからこれを伸ばしなさい」と言ってもらえたことは、私にとってはじめての体験で、それは大きな喜びだった。当時の私がこの喜びを意識することはできなかったが、なんだか精神に覇気が満ちてきて、毎日ガリガリと小論文を仕上げていたことは覚えている。そのときは相当嬉しい気持ちだったのだろう。

 

高校時代の老師との色々なやりとりは、今の自分に大きな影響を与えている。そう思うようになったのは最近になってからだ。子どもに勉強を教えるようになったからかもしれない。自分を見つめる時間が増えたからかもしれない。以前よりも本を読むようになったからかもしれない。様々な要因が絡み合っていたところに、ふっと、子どもの一言が引き金だった。私の脳が老師とのやりとりに意味付けを行いはじめた。あの刺激的なやりとりは、時間を超えて、再び私に刺激を与えてくれるようだ。老師に手紙を出してみようかしらなどと思う。

いろいろ考えていたら、刺激で頭がいっぱいになってしまった。これらをいったん整理して置きたくなったので、今回はここに書きつけて置こうと思う。

 

思い出し効果

ある夜、散歩をしながら、昼にした会話をぐるぐると思い出していた。

 

「 お昼食べないの?ダイエット? 」

「 いや、そういうわけじゃないんですけど、週末に人と会うので・・・ 」

「 だから? 」

「 僕が太って行ったら相手も嫌でしょう 」

「 へ~、素敵じゃん 」

「 実際は何の意味も無いですけどね 」

「 いやいや、会うまで毎日思い出してくれるっていうのが良いんじゃん 」

「 そういうものですか 」

「 そういうものだよ 」

 

そういうものなのかぁ。最近やたらとよく聞く。人はなにかにつけて相手に思い出してもらうのが嬉しいのだということを。今回の思い出しタイミングは「 会うまでの毎食時 」だったけれど、他に聞くのは「 ふとした瞬間 」、「 同じにおいの香水をかいだ時 」、「 良いことがあって誰かに話したい時 」なんかもある。「 夜寝る前にいつも思い出したいの 」と言っている人もいた。なるほど、思い出してもらうだけじゃなくて思い出すのが良いというパターンもあるのか。

 

僕がどれだけ相手を思い出そうと、相手は僕が思い出しているなんてことは知らない。逆も同じ。相手がどんなに僕を思い出しても、僕はそんなことは知らないから、いつもこうやって退屈な表情で退屈な気持ちでいる。なにかのきっかけで誰かに思い出されてるってもしわかったら、確かに心がウキウキするような気がする。退屈をどこかにやってくれそうなほど嬉しいと思う。その人に好きなお菓子を買ってあげたくなるくらいその人を大事に思うだろうと思う。だけれど、実際にそれを知ることはほとんどなかったので、僕の世界にそういうことは無いのと同じだった。

 

恋人同士くらいじゃないか。「 今日ね、いっしょにお茶したあの喫茶店の前を通ってね、初めてデートした時のことを思い出したよ 」なんてことを言われたら確かにしあわせだろうなと思うし、それを言葉にして伝える恋人たちもイメージできる。恋人がいない人はウキウキが抜け落ちた退屈から抜け出せないのか。しまった。

 

うーん…。でも僕がこれだけ人を思い出すのだから、どこかの誰かも僕のことをこれくらい思い出してくれててもおかしくないのでは。めちゃくちゃな論理だけれど、そう思うと結構嬉しくなってきて、そのうち「 そうだ。きっとそうなんだ 」と信じ込むような気持ちになってくる。夜の散歩から帰るころには、「 素敵じゃん 」と昼飯時に言ってくれたあの人の考えについても、僕の中でじんわりと共感されるようであった。

気遣い工房

「ありがとう。○○くんって気遣いができる人だね」

むむむっと思う。気遣い?自分が?家族の誰からも「おまえは気が利かないな」と言われ、自分勝手にやってしまう自分が?むう、騙されないぞ。緩みかけた頬を緊張させる。

 

人を評するにあたって、『気遣いができる』『気遣いができない』というラベルがある。でもこのラベルはその人の気遣い加減だけでは決まらない気がする。もちろん、その人が気遣い的に動けるかどうかは『気遣いができる』人の重要な要素のひとつだけれど、僕はそれ以外にも重要な要素があると思う。

 

それ以外の重要な要素、気遣いされる側の気遣い知覚能力のことだ。

どんなに大声で叫んでも、それを聞く耳や感じる肌がなければ、その大声は無いとも考えられる。どんな刺激も、誰にも知覚されなければ無いのと同じということ。現に今こうして、五感に訴えない刺激は無いものとして僕は生きている。だから気遣いも、誰かに気遣いとして知覚されなきゃ、気遣いにならない。そう思う。

 

そうなると、気遣いする側の行動というのはその時点ではまだ気遣いではなく、『気遣い的行動』だと考えられる。この気遣い的行動は、先ほどの例でいえば音を作る空気の振動だ。誰かの耳にキャッチされてはじめて、音として認識される。気遣い的行動も、誰かの心にキャッチされてはじめて気遣いとして認識される。

 

だから、気遣いの生みの親は気遣い的行動者(気遣いする側)ではなく、じつは気遣い知覚者(気遣いされる側)なのだと思う。

 

とくに親切でもなんでもないはずの自分が、ある人と一緒にいると「気遣いができるよね」なんて言われる。僕の微かな気遣い的行動を、優れた気遣い知覚者が丁寧に気遣いへと昇華している。僕の行動を、次から次へと拾い上げて。一流の職人は材料に左右されないのだ。仕事ぶりに拍手を送りたい。

 

職人さん、あなたのおかげで僕、今日も気遣いできる男です。

羨ま恨めしや

正午過ぎ、汚い中華料理屋でラーメンセットを注文した。

ちょうどその時、歳のいってそうな作業着姿のお父さんと、でっぷり肥えた外国人のお母さんと、まだ小3くらいの女の子って家族が僕の向かいのテーブルに座った。

お母さんは不自然な日本語でギョーザを注文した。どうやらメニューも読めないらしい。子どもはそんな母親が恥ずかしいという様子で、他人ですよ〜〜とでも言いたげにそっぽを向いていた。

しばらくして僕のところに料理が運ばれてきた。例のお母さんは僕のラーメンセットをみるなり、「アレがいい!アレ!アレがいいよ!」と旦那さんに訴えていた。

僕はイライラした。いや、ギョーザもう焼いてるのになと思った。旦那さんは「ああ、でもギョーザでいいだろ」と言った。でもお母さんは止まらなくて、店員さんに「スイマセン!スイマセン!」と声をかけていた。そっぽを向いてた女の子はいつの間にかふくれっ面になっていた。

お母さんは店員にギョーザを辞めてラーメンセットを注文していた。旦那さんは「いや、ギョーザ取り消さなくていいかな」と言ったが、お母さんは「なんで!?ギョーザいらないよ!私、アレがいい!」と言った。僕はますますイライラした。

店員は「はい!かしこまりました!」と気持ちが良かった。あ、通るんだ...と一瞬思ったけど、そこからまた悔しさが湧いてきた。ムカムカしてきたところで、ついにふくれっ面の女の子と目があった。