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思ったことなどです

"ネットちやほや"は人を狂わせる

昨日このブログを開設して、はじめての記事をアップしました。twitterと連携して1万人のフォロワーにむけて記事のリンクを拡散したら、ブログのアクセス数がダダダダダダッと上昇しまして、20分後には200を越えました。

僕はすぐに舞い上がりました。自分の記事がいろんな人から見られているという事で、えもいわれぬ高揚感がありました。いつもの僕のパッとしない日常生活では決して出会う事のないドキドキが、どんどん大きくなっていきました。twitterで自分のツイートが爆発的に伸びていく時のあの感じに似ていました。

昨日の記事に関して言えば、たいして内容があるものをアップしたわけではありません。ただ、日高サンというtwitterアカウントの中の人がブログをはじめて、そのお披露目兼ごあいさつをしたというだけの話です。だからね、僕は別に、気分が高揚して気持ち良くなるほどのすごい事を成し遂げたわけじゃないんです。ちょっと簡単な事をしただけで、アクセス数が上昇し、はてなのトップに載ったり、コメントがついたり、twitterの人たちから「楽しみにしてます!」とか「ぜったい読みます!」とか言われました。ネットでちやほやされた僕は、普段ちやほやされていない事もあって、なんだかとても嬉しくなりました。恐るべし、ネットちやほや。

 

これは"ネットちやほや"においてとくに言える事だと思うのですが、ここでは努力とちやほやが比例しないんです。パッとしない人でも簡単にちやほやされる事ができるんです。もっと言えば、パッとしなければパッとしない人ほど、現実世界では自分に向かないちやほやへの執着が強く、それを簡単に満たしてくれるネットちやほやの泥沼にハマっていくんです。このソースは僕なんですが、他にもネット上にあふれる太ももや鎖骨だけをうつした写真とか、恋愛ポエムおじさんの謎の自撮りとか、全然つまらない人が顔出して喋ってる意味不明なニコ生ツイキャスyoutubeとか、こういうところにもネットちやほやによって狂ってしまった人々が散見されます。

いくらネットでちやほやされても、僕たちの身体は現実の世界にあります。食べて寝てセックスをする生身の身体は現実にしか無いんです。ネットちやほやは所詮、脳味噌の一部を気持ちよくするだけなんです。しかしやはり、どうしようもなく魅力の無い人にでも少ない努力でたくさんの快感を与えてくれるネットちやほやの魔力というのは強いようです。 

 

ネットちやほやの快感は、しばしば生身の身体の存在を忘れさせます。ネット上の自我というのは漫画やゲームのキャラクター設定のように、求めるまま限りなく広がります。ネットちやほやに支配された人間は、ちやほやの獲得だけに動機づけられて動くようになります。すると彼らは、ちやほやを得るため自身をコンテンツ化させ、"空洞化した"自身のネットキャラクターを無限に拡大させていきます。程度の差はあれ、そういう人をみなさんも見た事あると思います。自分がそうだという方もいらっしゃると思います。僕もそうです。現実世界の生身の自分と、空洞化した自分のネットキャラクターとの人格的な乖離はものすごいものだと実感しています。同時に、これはきっといかんものだろうなと直感しています。

 

だからもうこんな承認獲得ゲームはやめませんかと。スマホを窓から投げ捨てて黙々と筋トレでもしませんかと。それでいいじゃないですか。努力もせずに他人からタダ同然でもらったちやほやなんかに振り回されるのはもうやめましょうよ。いいじゃないですか、もう。黙々と筋トレして、努力の末に割れた自分の腹筋を鏡で見て、それでニコニコしましょうよ。ね。

 

@各位  気を確かに