かへでぱへ

思ったことなどです

善くない人が良いです

恩着せがましくて気が利く人に気を利かせてもらうくらいなら、全く気が利かない人に放っておいてもらう方がラクでいい。ペコペコお礼を言ってまで、へりくだった態度をとってまで、他人にやってほしいことなんて無いんだよ。

 

気が利く人々がたくさん集まると、気が利く人々の間で“気の利かせあい合戦”みたいなものが始まる。なにかにつけての親切も、感謝も、お互いが気を利かせることでその程度がエスカレートしていく。いきすぎた親切はみっともないお節介になって、感謝のお礼はへりくだりすぎてむしろ下品にみえる。不毛すぎると思いながらそれを眺めていることがよくある。

 

そんななかにいると、気の利かせ合い合戦から離脱した自分は気が利かない悪者みたいになってしまうんじゃないかって思って、本当に疲れる。誰かに困難があったとき、それがどんなに小さなものでも、『親切な』人たちはこぞってそのお手伝いをしに行く。僕も半分だけ椅子から腰を浮かせて、「あ、大丈夫かな……」みたいなポーズだけ取ったりする。でも誰かを助けるためじゃない。悪者にならないためだ。

 

もうよくないですかそういうの!

 

本当は、「ありがとうございます」と一回言えばちゃんとお礼が成立する世界になってほしいし、お節介にならないと確信したときにだけ助けを出したい。

 

僕もたまには親切をすることがある。そのときの相手の感謝のお礼がダラダラと長く、やり過ぎなくらいへりくだっていて、そんな態度で僕への称賛を並べられると、僕はそこに居るのも嫌になる。まるでこっちがそうやってベッタベタに感謝されたくて仕方がなかったみたいだ。そういうとき、自分がどうしようもなく卑しい人になり下がったみたいに感じられて、もう居られなくなって、「どういたしまして」を言うのも忘れたまま、その場から逃げてしまうことがある。気にしすぎかもしれないけど。

 

お礼にお礼を述べて、それにまたお礼で返すみたいな。そういう不毛なやりとりをどうにかして僕で断ち切ろうと、毎日ちょっとの努力をしている。しているのだけど、断ち切るたびにいわゆる『善』とか『道徳』とかっていうものに、毎回余計なちょっかいを出される。