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思ったことなどです

「努力は報われる」って信じますか ~必然性の欠如によって定義される偶然を超越した偶然のなかを生きる その1~

 こんにちは。最近考えていることがあります。これについて説明を求められることがあります。また、自分の中でこれをよく整理しておく必要性も感じています。ですので、今回ここに文章として書き置こうと思っています。こうしておけば、誰かに説明するときもURLを貼ればいいし、自分にとっても整理になりますからね。

 

「努力は報われる」

 どう思いますか?この言葉。努力は絶対に報われると思って、それに1ミリの疑いも抱かない人もいるかと思います。そういう人には今回のお話は少し難しいかもしれません。知的にどうとかいうのではありません。イメージがしにくいお話だということです。

 「努力は報われる」。本当ですかね?努力すれば結果が出ますか?努力すれば幸せになれますか?結果が出なかったのは努力が足りなかったせいですか?努力が足りなかったからいい仕事につけなかったのですか?失敗したのは努力が足りなかったせいですか?

 どんなに努力しても報われないことはあります。不幸になることはあります。どんなに面接対策をして就職面接に臨んでも、面接官がたまたまそこを評価しない人であったら、努力は報われません。どんなに恋人に尽くしても、恋人の前にたまたま、自分より魅力的な女性が現れたら、いかに尽くしてきたとしても別れを告げられるでしょう。具体例をあげればきりがありませんから、あとはみなさんがご自分の経験を振り返ってみてください。なんといっても、自分よりよっぽど努力してないのに成功した人がいたし、自分よりよっぽど努力した人が苦汁をなめているところを、もうさんざん見てきているのではないでしょうか。

 もうこんな話は自己啓発本でさんざん読んできていることでしょう。テレビの中で成功者が言っている「努力は報われる」がなんの励ましにもならないということは、みなさん当たり前に、身に染みて分かっていることだと思います。ここまでは、ちょっとそれをおさらいしてみました。今回は、とりあえず「努力は報われる」という、小学校で習うような一般常識をちゃんと崩しておきたいと思っています。

 さて、それでもやっぱり、「偶然に困難があるからこそ、成功するには困難にも揺るがないほどの努力が必要だ。だから何か失敗するとすれば、やはり努力が不足していたのだ」とおっしゃる前向きな方もいらっしゃるかもしれません。ではお尋ねします。もし、失敗の原因が努力不足だったとして、努力できなかったのはなぜですか?努力をするという努力が足りなかったからですか?つまり根性がなかったからですか?じゃあその根性ってどうやったら手に入るんですか?生まれつきですか?親の教育ですか?これまで積み上げてきた経験ですか?それじゃあ、生まれつきの能力は選べますか?親は選べますか?これまで経験を積もうと思ったその積極性は何によって身につけたのですか?

 どこまでもさかのぼることができてしまいます。結局、我々のもとにあらゆる事象が起こるとき、それは我々にはどうにもできない偶然性によって原因の大半が占められるということです。我々が努力によって成功したと思っていたことも、我々が偶然に努力できる素質を持ち、また偶然に努力できる環境にあり、加えて偶然にそれが評価されただけです。読んでいる方々にも、「分かってる分かってる。そんなことは骨の髄まで分かりきっている」という方がいらっしゃることでしょう。

 でも、世の中では「努力は報われる」という信仰がまかり通っています。そして先ほどまでの話が、頭ではよく分かっている我々も、知らず知らずのうちにそう信じようとしてしまう部分があるかと思います。我々は、多くの労力や時間を費やして(つまり努力して)何かに取り組んだとき、一定の成功が得られないと悔しいと感じます。理不尽だと思います。こんなに頑張った自分が不幸になり、あんなに遊んでいたあいつが幸福になっていると思うと、こんなことがあっていいのかと、はらわたが煮える思いをします。とても苦しいものであり、多くの人に自然に生じる感情だと思います。

 でもこれって、「努力は報われる」と信じていなければ湧いてこない感情じゃないですか?どんなに努力しても、結局は偶然によって決まってしまうことが本当によく分かっているなら、失敗しても、不幸になっても、「ああそうか」となるはずです。努力の末に失敗するのは、成功するのと同じくらい当たり前だからです。つまり、努力に対して報酬が支払われるはずという期待があり、それが裏切られるから苦しいわけです。「努力は報われる」を信じているわけですね。じゃあなぜ、「努力は報われる」わけではないことが頭ではわかっていながら、そう信じないではいられないのでしょうか。

 私もそうですが、普通の人は、ロボットのように強くできていません。「どんなに頑張っても失敗することが当たり前にあるということ」を考えながら努力するのは、結構つらいことです。だから「努力は報われる」という事実と違うこと(嘘)を信じることで、なんとか心と身体に鞭を打って行動するのです。ある意味で、前向きと言えるかもしれません。しかし、真実と異なることを、うすうす知りながら信じているのですから、自分に欺瞞的な態度であるとも言えます。そして、私はこの自分に欺瞞的な態度が良くないと思っています。

 頭の中で分かりきっている真実と違うことを信じているのですから、そこには無理が生じます。そういうことをしていると、真実を見ないことばかりに神経を使って生きるようになります。努力が報われなければ、これまで大事に守ってきた「努力が報われる」世界観が崩れてしまうのです。自分の世界観が崩れることは恐ろしいことですから、常に「努力は報われる」と声に出して自分に唱え続けて、深く深く信仰していかなくてはなりません。ほんとはそうじゃないのに。周りの人間に対してもこういう態度で接します、「努力は報われる」のだから頑張りなさいだとか、「努力は報われる」のだからあなたが失敗したのは何かの間違いだとか、そんなことを言って、周りの人たちも巻き込んで欺瞞的になっていくのです。そうすれば自分の「努力は報われる」世界観がより守られますから。

 「努力は報われる」と唱えながら、「努力は当たり前に報われないことがある」というつらい真実から目をそらして生活することが、前向きだとかなんとか言われていますが、私はそうは思いません。そうやって生きていくことにどれほどの豊かさがあるでしょうか。世界観が壊れることに怯え、来る日も来る日も本当じゃないことを唱え続け、思考を麻痺させ、より深く催眠にかかるように腐心して、そのまま死んでいく。麻酔薬を打って目先の苦痛から逃げ続けていたら、本当のことは何も感じないでいつのまにか死んでましたなんて、そんなのはかなり嫌じゃありませんか。

 

 

 今回はここまでです。今回は「努力は報われる」についての批判でした。読んでくれてどうもありがとうございました。

 次回はこの次に大体の人が考える「我々は偶然に不幸になり、偶然に幸福になる」という世界観について、これもまた疑わしいものだと思っているので、書いていこうと思います。次もよかったら読んでみてくださいね。