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思ったことなどです

布団から出られなくなった大学四年生の時の自分を25歳の自分が分析してみた

大学生の頃に毎日死にたいと思っていた時期があります。‬
‪今になってもあの頃のことをよく回想して分析しますけど、死にたいと思っていた理由は多分、自分の生きる意味の無さに気がついたからだと思っています。

ここでいう、生きる意味の無さというのは、自分が生きている意味がない、誰からも必要とされていない、自分がいなくても世界は回るなどの、自分の存在理由の無さということではありません。僕が死ねば悲しむ人はいたし、僕が生きてるだけで嬉しいという人がいたので、僕は自分に存在理由が無いとは思いませんでした。‬
‪じゃあ生きる意味の無さとは何を指すのか、それは、僕が僕の人生を生きることの意味が無いということです。本当の生きる目的というものが無いということです。‬
‪本当でない生きる目的というものはありました。大学の教授になって好きな心理学の研究で食っていくとか、大きな企業に勤めてお金持ちになるとか、エリート公務員になって何不自由なく生きていくとか、そいうものです。‬
‪僕は自分の能力を過大評価していたので、そして実際にはそこまでの能力が無いにも関わらず目を逸らし続けてきたので、なんの努力もしてきませんでした。学会にも出ず、企業分析も試験勉強もしませんでした。そして何より、その生きる目的モドキを真剣には見ようとしていませんでした。‬
‪真剣に見れば、自分が本当にそれになりたいわけでも、それのために努力できるわけでもないことがすぐ分かったはずです。でも見なかったんですね。ただ漠然と、自分はすごいんだからすごい大人になると思っていただけです。‬
‪僕が死にたいと思った理由は、生きる意味が無かったからです。決して、生きる意味を、見失ったからではありません。無かったのです。自分で作って来なかったのです。‬
‪それまでの僕はみんながするように受験をして進学してきただけです。そこには、将来の選択肢が増えるから、という先延ばしの意思はあったけれど、明確な目的意識はありませんでした。ただちょっと頭が良かったから、親がお金を持っていたから、不自由も挫折もなくやって来れたというだけでした。‬
‪自分の意思で何かをやるには覚悟が足りず、このまま何も考えずに流されて生きるにはプライドが高すぎました。山月記に李徴という虎になった男が出てきますが、ほとんどあれと同じです。‬
‪僕は次第にベッドの中にいる時間が増えていき、週2回のバイトと週1回ずつの講義とゼミとカウンセリングの時間以外は家に引きこもるようになりました。料理もテレビ視聴もできなくなり、生きることの虚しさに耐えられず、毎日泣いていました。‬
‪人間というのは逞しいなと思うのですが、何も前進していないように感じる毎日を過ごしていても、水面下では色々と前進するように脳みそが働くみたいです。‬
‪毎日ただ泣いていた僕の頭は、幸いなことに、無意識的に考えることをやめなかったみたいで、気付かないうちに少しずつ変化していました。‬
‪虚しさに耐えられず泣いていた心は、そのうち虚しさにも慣れてきました。虚しい状態がベースになってきました。虚しさに支配される代わりに、わざわざ虚しさに泣かないようになりました。‬
‪虚しさの中で少しずつ、マトモな呼吸ができるようになりました。虚しさの中で生活をすることができるようになりました。何もできなかった生活の中で、一番最初に復活した習慣は料理でもテレビ視聴でもなく、本を読むことでした。‬
‪虚しい自分をとことん分析した僕は、自分が虚しいのは自分が何も知らないからだと思いました。生きるってなんだ、人間ってなんだ、働くってなんだ、死ぬってどういうことだ、と思って、本を色々と読み漁りました。‬
‪今思えば、僕にとってはあれが一番の治療薬だったんだなと思います。当時の僕は基礎心理学を専門にしていたんですが、臨床心理学の本にも手を出し始めました。そこには同じように生きることの意味を探した賢い先人たちが、頭を絞って書いた考えが記されていました。‬
‪哲学や思想にも同じにおいを嗅ぎつけ、自分と同じ思いをした人間はいないか、仲間探しをしました。本の中には、時代を超えて沢山の仲間を見つけることができました。本のなかの仲間たちの話を聞いて、僕は少しずつ知識をつけ、自分なりの生きる意味を作るようになりました。‬
‪自分なりの生きる意味に合わせて、当時の自分が取り得る選択肢の中から、一番近い領域にあるものを選びました。それは心理士になることでした。‬

 


‪それから色々と頑張って今に至るわけですが、まだ相変わらず虚しさを抱えながら生活しています。それが嫌ではありません。虚しさを抱えながら生活することはリアルなことだと思っています。虚しさを排除して生活を楽しいこと暖かいことだけで埋め尽くすのは、リアルでないと思っています。‬

教養をつけて、虚しさも抱えながら、自分の頭で考えて生きるようにしています。生きる意味は自分で考えて作って、勇気を持ってそれを実行していこう、というのが今の気持ちです。自分なりの生きる意味を作って実行する生活は、今のところ、なかなか楽しいです。

 

 

でもね、抱えきれないほど無限に虚しいものを、見ないように必死になってる自分がいるなって、薄々感じてもいるんですよ。