国語についての回想
子どもに勉強を教えた。自己紹介で「 先生の好きな教科は国語だよ~」と言ったら、子どもは「 えぇ~~」と苦い顔をした。「 なんにも面白くない」と言っていた。
思い出してみればずっと国語が好きだった。授業中、よく教科書の別のページを開いては、はじめての文章を読み漁っていた。便覧は舐めるように隅々まで目を通した。国語の教科書や便覧だけは、自分にとって勉強の道具というよりもおもちゃに近いものだった。
高校時代の現代文の教師との出会いが、私をもっと国語好きにさせた。定年間近の、もうばあさんに近い教師だった。彼女は年齢よりも老けていた。腰がすこし曲がっていて、がりがりに痩せていて、黒板に書く文字は線のつながった年寄りの文字であった。彼女のことを「 老師」と呼ぶ友人もいた。たしかに、文学を足掛かりにして生き方や考え方について熱く説く雰囲気に、老師という呼び名は似合っていたように思う。
老師は私のことを気に入っていた。授業中、文学や論説の理解のキモとなるような要点では、決まって私に発言を求めた。老師が出した問題について、生徒たちがノートに意見をまとめていると、必ず私の机まで様子を見にきて、「 よく読めているね」と囁いた。定期テストで論述問題が出ると、模範解答を老師が読み上げることがあったが、私は途中からそれが自分の解答であることに気付いて、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなったこともあった。老師のそうした贔屓は、私が国語に前向きで、成績も良かったことから、教え甲斐のある生徒だという認識があったためだと思う。当時は分からなかったが、今思うと、彼女は私に教えることを楽しんでいたようだった。
私も老師の授業が好きだった。勉強が嫌いなわけではなかったが、学校の授業は退屈で、机に座って受ける授業の半分は寝ていた。それでも、老師の現代文の授業で寝ることは無かった。現代文は週に3回あって、その曜日は学校に行くのが楽しみであったことを、今でも覚えている。
老師の授業は、作者の意図を、表現したかったことを、言いたかったことを、行間から読み取らせようとする内容が多かった。空気を読む、表情を読む、元来そういうことが得意だった私にとって、行間から意図を汲むことも同じことで、私はそれを難なくやった。老師の授業を受けるうちに、私はどんどんそうやって文章を読むようになっていった。「 本当に言いたいことは?行間に隠されたこの人の気持ちは?想像してみると?歴史背景からも考えてみた?風景をひとつひとつ浮かべてから読んでみて?」老師の問いかけひとつひとつが、私の頭のエンジンを加速させた。インクから文字、文字から単語、単語から文、文から文章、文章からその奥にある想像上にしかないこと……老師のおかげで、文章の奥のものにたくさん触れられるようになった。文章がもつ奥行きというものが、グッと拡がったように感じた。
私が、教科書に出てくるような文章が好きというのは、これが奥行きを見出しやすい性質を持っているからだと思う。老師の問いかけのような、文章を読むための基礎的な”構え”さえあれば、簡単に奥行きを見出して触ることができる、それが教科書に出てくるような文章なのだと思う。老師に質問責めにされながら読んだ志賀直哉の『 城の崎にて 』は、高校生の私に主人公が考えたよりも深く、生と死について考えさせた。吉野弘の『 I was born 』という詩は、元の文の何万倍も奥行きを持っているようだった。妊婦を見た少年の性への気恥ずかしさについて語らさせられたときはかなり恥ずかしかったが、語れば語るほどその詩を好きになった。
老師には、そのあとの大学受験でも大変世話になった。高校3年時の私の担任は、老師とはまた別の新任国語教師であったが、私が老師にばかり進路相談をするので担任はすっかり拗ねてしまっていた。入学試験には、学校によっていろいろな試験方式がある、国語、英語、数学、小論文、面接など本当に様々だ。どれにするべきか、どこを受けるべきか、職員室で老師に相談すると「 小論文書きなよ、あんたはいい文章が書けるんだから、それが一番いい」と言われた。続けてすぐ「 これから一日一本、小論文を仕上げて持っておいで。あたしが添削したら、次の日はもっと良くして持ってくるんだよ」と言われ、原稿用紙の束を渡され、気がついたら職員室の外にいた。
はじめて自分の才能を他人から認められた瞬間だったと思う。「 あなたはこの能力が優れている。だからこれを伸ばしなさい」と言ってもらえたことは、私にとってはじめての体験で、それは大きな喜びだった。当時の私がこの喜びを意識することはできなかったが、なんだか精神に覇気が満ちてきて、毎日ガリガリと小論文を仕上げていたことは覚えている。そのときは相当嬉しい気持ちだったのだろう。
高校時代の老師との色々なやりとりは、今の自分に大きな影響を与えている。そう思うようになったのは最近になってからだ。子どもに勉強を教えるようになったからかもしれない。自分を見つめる時間が増えたからかもしれない。以前よりも本を読むようになったからかもしれない。様々な要因が絡み合っていたところに、ふっと、子どもの一言が引き金だった。私の脳が老師とのやりとりに意味付けを行いはじめた。あの刺激的なやりとりは、時間を超えて、再び私に刺激を与えてくれるようだ。老師に手紙を出してみようかしらなどと思う。
いろいろ考えていたら、刺激で頭がいっぱいになってしまった。これらをいったん整理して置きたくなったので、今回はここに書きつけて置こうと思う。